2019年公開。ホアキン・フェニックスがジョーカーの伝説を塗り替えました。
実はとても丁寧に作られていると感じました。ひとつひとつの画像に工夫があり、ゴッサムシティの鬱屈した雰囲気が伝わります。
あらすじ
ゴッサムシティに暮らすアーサー(ホアキン・フェニックス)は、しがない道化師。母親とダウンタウンの汚いアパートに暮らし、テレビのマレー(ロバート・デニーロ)の番組を見るのが何よりの楽しみ。
脳に障害があり、思わぬ時に笑い出してしまう病気のアーサー。仕事中に宣伝の看板を不良たちに奪われ、けがをさせられても、雇い主にうまく説明できず笑い出しひんしゅくを買ってしまう。
そんなアーサーは母の介護をしながら、母の「富豪のウェインさんから手紙の返事は来た?」というとりとめもない会話の相手になる毎日。
あるとき職場の道化師仲間に、「これで身を守れ」と銃を渡される。アーサーは律儀に銃を持ち歩き、小児病棟での仕事中に子供たちの前で銃を落としてしまう。
このことがもとでアーサーは道化師の事務所を解雇されてしまった・・。
感想(ネタバレしています、要注意)
あのバットマンのジョーカーがいかにして誕生したのかが克明に描かれます。迫力ある、たたみかける演出。
最初はまったく冴えない、脳に病気を持ち、底辺の暮らしをしているアーサーという男が、銃を手にし、一線を越えてしまった時から、彼の新しい何かが動き始めました。
その移り変わりの演技は完璧としか言いようがない、ホアキン・ファニックスという俳優。
終始、その熱演に圧倒されながら、その演技に引き込まれるように時間が過ぎました。セリフの間とか、病的な笑い方とか踊りの所作など、他の俳優ではできないと思われる、レベルの高い演技です。
「ダークナイト」のヒース・レジャーとよく比較されていますが、また別の、異世界のジョーカーが誕生しました。(個人的にはヒース・レジャーは神です)
そしてあることに気付きます。ジョーカーは1人ではない。ジョーカーはだれにでもなれる。ゴッサムシティには不満を持った無数のジョーカーが絶え間なく湧き出てくる。
しかもその原因を作ったのは、ゴッサムシティの貧富の格差であり、そしてまたその元凶は誰あろう大富豪のウェイン(バットマンのお父さん)なのです。
善と悪、この相反するものが、実は表裏一体なのだ、という結論に至ることで、映画「ジョーカー」のストーリーは無限に広がりを持ちました。
リピーター続出、ハマる人が止まらない、といわれるこの作品。ピエロという、涙のメイクをした道化師というものが何故これほどまでに人の心をざわつかせるのか、そのルーツはなんなのか。
笑いと涙、快楽と恐怖が表裏一体ということかもしれません。