1993年 ボビー・フィッシャーの話ではありませんが、実在の神童の物語です。大切なところが抜けている気がしました。
あらすじ
7歳の野球好きの少年ジョシュは、公園でチェスをする大人たちに出会い、チェスの魅力に取りつかれる。
やがてジョシュには類まれなるチェスの才能があることに、父親のフレッドは気づく。それからフレッドはジョシュへの英才教育のため、世界チャンピオンのボビー・フィッシャーを育てたブルースにジョシュのコーチを依頼する・・。
感想
実在のチェスプレイヤーのジョシュ・ウェイツキンの父親が書いたノンフィクションの映画化です。
ボビー・フィッシャーという人は世界チャンピオンにはなりましたが、失踪したり奇行を繰り返しました。
その失踪中の時代に7歳だったジョシュは、フィッシャーの再来のように周りの大人たちに見られていたことでしょう。
しかしこの映画の核は、そのチェス三昧の厳しい生活だったジョシュが、いかにしてのびのびとした暮らしに戻ることができたのか、というところです。
よくあることですが、1つの道を究めさせようとして厳しく育てようとする父親に、子供がだんだんと耐えられなくなるという構図。
ここからどうやって家族が、父親が、ジョシュの本当の幸せとは何かを気付くことができたか、ということが観ている人が一番知りたいところです。
母親が「ジョシュはあなたの愛を失うことを恐れているのよ」と言うシーンがあり、「ジョシュのまともさを壊そうとしているなら出て行く」と言い放ちます。
実は、このシーンが一番大切なシーンだと私は思いましたが、このシーンはほんの短いものでした。実際にはもっと議論を重ねたのでしょうが。
誰もが子育ては「初めて経験する事」です。親だからと言って正しく指導できているとは限らない。実は、教えられているのは親のほうかもしれないのです。
ジョシュはこのあとチェス以外のいろんなことにも挑戦できる日々を手に入れました。そしてもちろんチェスでも栄光を手にしつつ、なんと太極拳の世界チャンピオンにもなったのです。
子どもの可能性を潰さない子育てをすることができた、ウェイツキン夫妻の極意。それこそが一番描かれなければならなかった部分であり、この映画の流れの中では、「なんとなく」で終わってしまっているのです。
なんのために映画を作るのかを途中で忘れてしまったみたいだな、と思わせる作品でありました。
ただ、ジョシュを演じた子役のマックス・ポメランクの上目遣いの瞳の美しさがあまりにも素晴らしく、それだけで映画の価値を3割ぐらい上げているのは間違いないでしょう。